十四侯 鴻雁かえる (こうがんかえる)

雁が北に帰る頃ということらしいのですが、残念ながら京都では雁と呼ばれるヒシクイ やマガンを私は見たことがありません。 昔、京都の南部にあった巨椋池で雁を歌った古歌があったと思いますが、昔は飛来し ていたのでしょうか。 琵琶湖の北では3月の始め…

十三侯 玄鳥至る(つばめいたる)

今年初めてツバメを見たのは確か3月の始めの頃、賀茂川と高野川が合流する出町柳の 辺りだったと思います。 バスの窓から川面を数羽のツバメが飛び交っているのを見て、はるばる京都まで飛んで 来てくれた事と春が来た事を実感出来て、しみじみとした気持ち…

十二侯 雷乃ち声を発す(かみなりすなわちこえをはっす)

ビバルディの「四季」の中の春はとても有名ですが、 小鳥の囀りや泉のせせらぎの軽やかな調べの後に やがて不穏な嵐の予兆が始まり、雷鳴がとどろきます。 ソネットには「雷鳴が春の到来を告げる」とありますので、 嵐の洗礼を受けなければ、春が訪れないと…

十一侯 桜始めて開く

桜ほど待ち焦がれられる花はないと思いますが、桜の季節が嫌いだと言っていた人 がいました。 散るのが哀しいということらしいのですが、私も桜には悲しい思い出があるので 素直に花見に出かける気がしません。 それでも素晴らしい桜の樹に出会った時はやは…

十候 雀始めて巣くう ( すずめはじめてすくう )

私はクリスチャンではありませんが、鳥を見るたびに 「空の鳥は蒔かず、刈らず、蔵に収めず、それでも神はこれを養っておられる。」 という聖書の一節を思い出します。 いいなあ、お前達はなんの心配もなくて、、と、つい思ってしまいがちですが、 自由に飛…

九侯 菜虫蝶となる

蝶がひらひらと飛んでいる光景はもう少し先になりますが、 早咲きの菜の花はもう咲いているようです。 蝶と言えば、子供の頃捕虫網を振り回して、 キャベツ畑のモンシロチョウを追いかけた日々を思い出します。 捕まえた時の嬉しさは、蝶を籠に入れてしばら…

八侯 桃始笑(ももはじめてさく)

雛祭の頃にはちやほやされていた桃の花も、 雛飾りを片付ける頃には花屋の店先から姿を消すことが多いですね。 今ひとつ容姿が垢抜けないということでしょうか。 梅、桃、桜を三姉妹に例えるなら、凛として気高い姉と 華やかで美しい桜の妹にはさまれて、ち…

七侯 巣籠もりの虫戸を開く

啓蟄と聞けば、いよいよ春が来たという響きがあります。 土の中の虫も蛇も蛙も皆出て来てお日様にあたっているイメージ でも油断は禁物です。京都や滋賀では比良八荒という冷たい北風が吹かないと 暖かい春が来ないといわれています。 比良と言えば、琵琶湖…

六侯 草木萌動 (そうもくめばえいずる)

このごろ、やっと三寒四温が実感出来るようになって来ました。 厳しかった冬の寒さで、例年ならとっくに咲いているはずの庭の早咲きの紅梅も まだ三分咲き位でしょうか。 野山の樹もまだ固い小さな冬芽のままのものが多いようですが そんな中で先日、馬酔木…

五侯 霞初めてたなびく

霞(かすみ)という言葉は靄(もや)や霧(きり)とどう違うのか、 春は霞、秋は霧ということでしょうか。 春の山裾に低くたなびいている情景が目に浮かびます。 もうしばらくすると、野山に山桜の咲く花霞も楽しみです。 ちなみに京都の大原には小野霞とい…

四侯 土の脉潤い起こる (つちのしょう うるおいおこる)

二十四節気は雪から雨に変わる雨水となりました。 ちょうど今朝の京都には雨が降っています。 凍りついた地面もやがて解け始め ぬかるみとなることを春泥と言うのだそうです。 洛北の漬物にするすぐき菜を収穫したあとの畑に 寒の間に堆肥が入れられているの…

三侯 魚氷をいずる

底冷えのする京都でも厚く氷の張ることはほとんどありませんが、 冷え込んだ朝など池にうっすらと氷が張っているときがあります。 こんな時は魚は水底にじっとしているのでしょうか。 ベルリンに行った人が、真冬には川が凍って歩いて渡れる程だと話していま…

二侯 うぐいす鳴く

鶯は用心深い鳥なのでなかなか姿を現してはくれませんが、 そのさえずりを聞くと、寒さのなかでも春がぐんと身近に感じられます。 梅に鶯ということで、北野天神に梅の花を探しに出かけてみました。 境内の梅園はまだまだ蕾のままの木がほとんどでしたが 中…

一侯 東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)

2月4日は立春 今日から七十二侯がスタートします。 春風が氷を溶かすように春の気配が漂い始め、 寒さの厳しい中にも光の春が始まっています。 立春の前日は節分ということでセツブンソウを探しに 京都府立植物園へ。 まだ咲き始めたばかりのようでしたが、 …