五十九候 朔風葉を払う(北風木の葉をはらう)

毎年、驚くほどの落ち葉を払い落として、寒さに備える木々。
自宅のすぐそばに椋や欅の大木があるので、晩秋は落ち葉掃きが
日課となります。
道行く人の中には、大量の落ち葉を掃く私をねぎらってくださる方も
おられます。
確かに面倒だと思う気持ちも少しありますが、これも運動と思えば
苦にもならなくなります。
ただ、最近は鷺が枝で休むようになって、道路に白い置き土産が
落ちている事もしばしばです。
良いことと困ったことを比べてみれば、夏の日蔭、小鳥の囀り、
秋の美しい黄葉と、やはりありがたいことのほうが多いことに気
付きます。
もう一つありました。落ち葉で焼く焼き芋!
ブスブスと燻っている焚火で焼く焼き芋はほんとに美味しいです。
風流な落ち葉の話にしようと思っていたのに食い気の話になって
しまいました。


左京区 曼殊院

五十八候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)

北山時雨の季節も過ぎ、日差しも弱くなって、虹に出会うことも
めったになくなります。
寂しい気分の漂うこの頃は、七十二候にももう少し気持ちの上向
くような、例えば、山葡萄の紫とか、茶の花の白とか、木に残る
柿の赤とか、そんな彩のある言葉が欲しいですね。
店頭に並ぶ秋の恵みも、残り少なくなって来ました。
そういえば今年は栗も松茸も食べていませんでした。
もちろん、松茸はいつも貰い物でしか味わえませんが。
もう街にはクリスマスソングが流れていますね。


鴨川 出町柳

五十七候 金盞咲く( きんせんかさく)

金盞花と聞くとよく仏花に添えられているオレンジ色の
キク科の花を思い浮かべますが、七十二候では水仙の事
を指すようです。
金の杯の花という意味でしょうか。
水仙の咲く時期はもう少し後なので、七十二候はどうも
季節の進み方が早いですね。
水仙はもともと日本に自生していなかったらしいのですが
それなら有名な越前岬など自生地とされているのは何故か
という疑問が出てきます。これは遥か大昔に大陸から海を
越えて球根が流れ着いたと云われています。
まるでヤシの実の歌のようですね。
水仙は地味ではありますが、花の少ない時期に咲いてくれる
花として重宝しますし、一輪挿しているだけでも良い香りを
部屋に漂わせてくれます。
ナルシストの語源となったギリシア神話の、水鏡に映る自分
の姿を愛してしまった少年が、死後に姿を変えたのは水仙
花だった気がします。


柴田是心 画

五十七候 金盞咲く( きんせんかさく)

金盞花と聞くとよく仏花に添えられているオレンジ色の
キク科の花を思い浮かべますが、七十二候では水仙の事
を指すようです。
金の杯の花という意味でしょうか。
水仙の咲く時期はもう少し後なので、七十二候はどうも
季節の進み方が早いですね。
水仙はもともと日本に自生していなかったらしいのですが
それなら有名な越前岬など自生地とされているのは何故か
という疑問が出てきます。これは遥か大昔に大陸から海を
越えて球根が流れ着いたと云われています。
まるでヤシの実の歌のようですね。
水仙は地味ではありますが、花の少ない時期に咲いてくれる
花として重宝しますし、一輪挿しているだけでも良い香りを
部屋に漂わせてくれます。
ナルシストの語源となったギリシア神話の、水鏡に映る自分
の姿を愛してしまった少年が、死後に姿を変えたのは水仙
花だった気がします。


柴田是心 画

五十六候 地始めて凍る

京都にあてはめれば、まだまだ地面が凍てつく程の寒さでは
ありません。
けれども今冬は寒さが厳しいとの予測が出ていますね。
北海道では氷点下の毎日なのでしょうか。
今年の夏は猛暑でしたので、暑さ寒さのメリハリのある年と
なりそうです。
それでなくても夏のうだるような暑さと冬の底冷えは、盆地
の京都では仕方のないことではあります。
夏の暑さと温暖化の影響もあるのでしょうか、自宅に垣根の
代わりに植えたミカンやレモンが今年は豊作でした。
いつもなら食べ頃の時に山から来た猿に食べられてしまう事
も多いのですが、今年はまだ被害が出ていません。
山の幸がそこそこ実ったのでしょうか。

五十五候 山茶始めて開く(つばきはじめてひらく)

11月にはまだ椿はほとんど咲いていないので、この場合は
山茶花を指すようです。
椿は沢山の品種にそれぞれ優雅な名をつけられて愛でられて
いますが、山茶花はあまり花に変化もなく、垣根に使われる
程の気安さで、身近過ぎて特に気付かれないのは、ちょっと
可哀想な気もします。
寒さが少し増すこの頃はお茶の炉を初めて開くという炉開き
の頃でしょうか。
折しも「炉開き」と名付けられたが庭で咲いています。
大原の里の奥にある山野草の店で、炉開きの頃に咲くという
名の由来に惹かれて、買い求めたのですが、ちゃんと律儀に
咲いてくれました。
椿というよりは茶の花に近い様な小さな花ですが、ほんのりと
花びらが桃色に染まって可憐な花でした。

五十四候 楓蔦黄ばむ(もみじつたきばむ)

色付き始めた街路樹に秋の深まりを感じる季節ですね。
京都の山のほうではもっと紅葉が進んでいるのでしょう。
所用のついでにふと思い立って、鷹峯の光悦寺を訪ねると
気の早い楓が数本、真っ赤に紅葉していました。
とはいえ、まだシーズン前なので訪れる人も少なく、
眺めの良い高台の縁台に座って、鷹峯、鷲ヶ峰などの山を
眺めていると、心持ちがとても晴れやかになりました。

自分を木の葉に例えてみれば、若葉の日々は夢の様に過ぎ去り
今は落ち葉となる前のどの辺りかと、ふと思います。
人生の最後に、照り輝く美しい紅葉となって、あっさり散れれば
いいのですが、いつまでもしがみ付いている薄汚れた葉っぱとなる
かもしれません。

夏の猛暑や台風が樹にダメージを与えてさえいなければ、今年の
紅葉はとても美しく色付くのではという予想も出ています。
これからの数週間が楽しみです。


光悦寺